プロフィール

アスペルガー症候群・・・自閉症スペクトラム障害の中の、発達障害。特定の分野でのこだわりや、コミュニケーションにおいての特異性が見られる。知的障害や言語障害は伴わない。

定型発達・・・発達障害ではない人。当サイトではわかりやすくするために、「定型発達」あるいは「定型」という言葉を用いますが、わたしは本当はこの言い方を好きではありません。『定まった型』って、ちょっとね・・・。

はじめまして!このサイトの管理人、スモモ@aspe_sumomoです。

まずは、ゆかいな我が家のメンバーを紹介します。

スモモ
スモモ
30代 主婦。アスペルガー症候群+ADHD。
旦那
旦那
30代 激務系会社員。定型発達。
イチゴ
イチゴ
長女・小2。自閉症スペクトラム障害。
ニコ
ニコ
次女・2歳。発達凸凹
ミミコ
ミミコ
三女・0歳。定型発達?

わたしは大人になってから、発達障害と診断されました。

約10年前に、20代でアスペルガー症候群と診断されたわたしは、いまや立派な「ポンコツママ」!!

毎日ミスばかり。子供たちが急に大きな声を出したりすると、パニック。

部屋はぐちゃぐちゃ。子供のプリントや飲み薬の管理、ママ友ご近所付き合い、手に負えない!!

注意散漫がひどく、車の運転は家族に止められています(当然だと思っています。というか19歳から運転していない)。

精神障害者保健福祉手帳は、2級を所持しています。

旦那は仕事バリバリ、几帳面な会社員です。

出張も多く、毎日疲れています。

そのうえ、妻であるわたしが毎日ミスをくりかえし、くつろげる場所であるはずの自宅でもイライラさせられっぱなしです。

それなのに・・・

スモモ
スモモ
「マメで、手作り好き」な普通のママだと、周囲には思われています!

家事は苦手だけど、子供のおもちゃはよく作っています。外遊びや、季節のイベントを企画して、友達を集めるのが大好きです。

イチゴ
イチゴ
水遊びのおもちゃ、ほとんど手作りだよね。あと、お風呂のおもちゃも。

スモモ
スモモ
うんまあ、そうだけど・・・

そうだけど、ぼろを出さないように、目がまわりそうなほど気をつけてるんだよぉ~~

わたしは今、30代。わたしが子供の時は、「発達障害」という概念は、日本社会には浸透していませんでした。

当然、療育も受けていませんし、自分がなぜみんなと同じようにできないのかも、わかりませんでした。ただのドンくさいいじめられっ子として、いろんな人をイライラさせたり、迷惑をかけたりして育ってきました。

他者をイライラさせたり、不用意な言動で傷つけてしまったり、いじめられたり、気持ち悪がられたり・・・そうなるのがいやだったら、自力でなんとかするしかありませんでした。

そうして約30年、ぼろを出さないことに全力をかけてきた結果が、「ちょと天然だけど、マメで、手作り好きな普通のママ」なのかもしれません。

スモモ
スモモ
全力で気を付けて、ようやく「天然だよね~!」って笑ってもらえる程度なんですけどね。

それでも、どうにか「天然ママ」として受け入れられているということは、周りの方々にとても恵まれているということなんだなあ。

「リア充」になりたくて、なりたくて

「リア充」とは「リアルが充実している」、つまり現実世界が充実している人を指す、ネット用語です。

赤ちゃんのころから人と目を合わさず、抱っこは嫌いでのけぞってしまう。自治体の乳児健診で「再検査」を宣告されたわたしは、幼稚園に入っても、「人への興味」はありませんでした。

ずっと1人で絵を描いていたり、虫を観察したり、枯れ草をくしゃくしゃに丸めて「鳥の巣」を作り続けたりしていました。

4月生まれなことを差し引いても、ひときわ大きな体で、でも先生の指示は理解できず。みんなが移動したあとに、1人だけ取り残されていたり、集団行動ができなかったり。

おとなしい性格だったので、仲間外れにされることは多くても、けんかや暴力といったトラブルはありませんでした。そのため「ただの消極的なマイペースな子」として、特に問題にはなりませんでした。

スモモ
スモモ
ちなみに乳児健診の再検査には行っていません。行ったところで、当時は診断がついたかどうかわかりませんね。

性格は「しずかちゃん」、でも行動は「のび太」

小学生になると、自分でもはっきりと「わたし、なんか違う」ということがわかっていました。先生がみんなの前で出す「一斉指示」は、ほぼ理解できず、従うことができません。当時は体罰も多かったので、「話を聞いていなかった」ということで頭をたたかれることもありました。

忘れ物やなくしものも増えていきました。持ち物は、乱暴に扱っているつもりはないのに、なぜかすぐボロボロになってしまいました。

態度はまじめで、性格もおとなしく、他の活発な女子たちみたいに男子を言い負かしたり、乱暴な言葉をつかったりなんてしないくせに・・・自分でも、きちんとした女の子でありたいと思っていたのに。

行動はまるで、だらしなくいじめられっ子の「のび太くん」。

習い事のスイミングでも、指示に従えず、たまに頭をたたかれていました。

同年齢の女子の中でも、だんだん浮き始め、男子には体系のことで「デブ」とからかわれるようになりました。

親や先生からは、やはり「マイペースな子」とだけ見られ、問題視されることはありませんでした。

小学生にもなれば、クラスの中でも「明るく活発な子」と、「おとなしくて地味な子」というのはハッキリ分かれてきます。そんな中での「リア充」とは、やはり明るくて、授業中の発言も多い、クラスの中心にいるような子たちではないでしょうか?

だいたい、スポーツもそこそこできて、女の子の場合は顔もかわいい。

もう、あこがれるというか、雲の上ののような存在に思えていました。たまーに、そんな「リア充」に話しかけてもらえるだけでも、舞い上がってしまいました。

わたしが焦って変な態度をとったり、変なことを言ったりするので、「リア充」たちは、たちまち離れて行ってしまうのですが・・・。

中学生になると、周囲との差はさらに開いていく

そして中学生になると、もうわたしは同い年の子たちとは、違う生き物のようになっていました。コミュニケーションは全く取れず、自分でもどうしたらいいのかわかりませんでした。

成績は、得意不得意の差が激しく、いくら得意分野でがんばっても、カバーできませんでした。

校則をかたくなに守るタイプだったので、見た目も最悪のダサさでした。

中学時代は、わざと記憶の中から消しているので、ぼんやりしていてよく思い出せないのです。

「キモイ」女子高生

高校は、偏差値の低いところへ入学しました。

当時は、「ガングロギャル時代」の末期。クラスの大半は「ギャル・ギャル男」でした。

わたしはそんな子たちが好きで、うらやましかったけれど、彼らはわたしのことなんかキモイだけでした。

コミュニケーションがとれず、自分を客観的に見ることも苦手で、外見は最悪。それでもわたしは「リア充」側に行きたくて必死でした。

必死に友達を作ろうとするも、「キモイ」と言われ、廊下を歩いていたり授業中に発言するだけでクスクス笑われ、「珍獣」「異常者」のように扱われました。

「美術部」に入っていたことも、「暗いヤツ」というレッテルを張られるのに一役買っていました。

スモモ
スモモ
それでも、その子たちのことは嫌いじゃなかったんです。いじめられている自覚も当時はありませんでした。でも、いまだに寝るときの夢に出てくるんです。

「うちの子、宇宙人だから」

小中学時代のクラスメイトに、わたしの母が言った言葉です。

本当は、わたしの母がクラスメイトのお母さんたちに言った言葉ですが、当然お母さんたちは、わが子に面白おかしく伝えたのでしょう。

女子生徒1
女子生徒1
うちのお母さんから聞いたんだけど、スモモさんのお母さんが『うちの子は宇宙人なんです』って言ってたって~!(ドン引き)

女子生徒2
女子生徒2
うちのお母さんも、同じこと聞いたって~(クスクス)

母は、「うちの子、個性的だけど、よろしくね」という意味で言ったのでしょうが、笑われるネタをまたひとつ増やすことになっちゃいましたね。

わたしは三姉妹の長女です。

父は亭主関白気味で、よくわたしに「長女らしく、リーダーシップを取れ!!」と言っていましたが、わたしはダメダメ。むしろ、自己主張の強い次女が、リーダー格でした。

妹たちはドンくさいわたしの言うことなんか聞きません。

また、わたしも人の気持ちがわからないがために、姉らしいことなんてひとつもしてあげられませんでした。

家では、ちょっとモタモタしたり、何かミスするたびに、父親からのねちねちキツイ嫌味が待っていました。

「リア充」な子だったら、家庭外の世界に居場所を求めたのでしょうが、友達のできにくいわたしは、思春期になっても、家庭が全てです。

毎日くりかえされる父からの、わたしを否定する言葉が怖くて、しだいに「空想の世界」へ逃げ込むようになっていました。

「空想の世界」そこは、わたしがすべてを管理し作り上げる世界。架空の優しい友達や、不思議な生き物がたくさんいて、わくわくするような冒険ができる世界。

わたしは、おそらく10歳頃から18歳くらいになるまで、からだは「現実世界」で暮らしつつ、頭の中はほぼ「空想の世界」一色となっていました。

「架空の友達」は何人もいましたが、たいてい、わたしとは正反対の存在。つまり、

スモモ
スモモ
明るくて活発な、男の子!!が多かったかなあ

未診断アスペ、彼氏が途切れない

高校を卒業し、絵画系の学校へと進学しましたが、成績はボロボロ。高校時代より個性的な子が多く、いわゆるオタク系もたくさんいる学校でしたが、そこでもやはり「明るく中心的な子」「暗くて地味な子」というのは分かれていました。

ところが19歳になったわたしは、20代半ばで結婚するまで「彼氏」が途絶えたことがなかったのです。

「キモイいじめられっ子」が板についていたわたしは、男女問わず、わたしと同じようなタイプの子たちから好かれやすい一面がありました。

スモモ
スモモ
だって、わたしは別にその子たちのことがキモくなかったし、よくお話し相手になっていたから。

中にはわたしに好意を持ってくれる男性もいたので、「リア充」になりたくて相変わらず必死だったわたしは、舞い上がってお付き合いさせていただくこととなりました。

でも、付き合っていくにつれ、そうした友人たちは、わたしよりどんどん強くなっていくのです。キツイことを言ってきたり、わたしが「その子にとって意図しないこと」・・・

その子に反論したり、言ってほしかったであろう慰めの言葉をかけなかったり、その子が求めていた対応とは別のことをしたり・・・

すれば、激しく怒ったりするようになっていくのです。

 

もちろん、その彼や彼女が心地良いようにしようと精一杯がんばるのですが、わたしはすごく疲れて落ち込んできてしまうのです。

結局は、怒られ言い負かされたりしつつも、なんとかその子たちと距離を置くことしかできませんでした。すると、わたしのほうが「あの子を捨てたひどいやつ」と周囲に言われたり、その子本人からいつまでも付きまとわれたりしてしまったのでした。

「ヤリ捨て」も含めて、男性とは何人かとお付き合いさせていただいたのですが、たいへん苦しい記憶となりました。

そもそも普通の友達関係すら満足に築けないわたしが、まともに恋愛などできるはずがなかったのです。

滑稽なほど「リア充」に憧れたばっかりに、お互いたくさん傷を負う関係ばかりを持ってしまいました。

未診断アスペのボロボロ就活・・・そして、診断

空想の世界にどっぷり漬かっていた子も、やがて大人になり自立しなければなりません。

絵画系の学校の卒業を控えたわたしは、他校の若者をまねて、「就活」をはじめました。

同じ学校の子たちは、のんびりと絵を描いたり、フリーターしながら芸術活動をする、といった進路を選ぶ子が多かったのですが、妹が2人いるわたしは親に負担をかけたくありませんでした。

どうにか内定をゲットしたのは、接客業。業務内容は、「事務」や「子供との関り」も含めて多岐にわたっていました。

電話をしながらメモが取れない!電話を保留にすると、そのまま忘れ去ってしまう!

プリントの枚数は、何度数えなおしても途中で混乱してわからなくなる。物をこわす、忘れる。

机はぐちゃぐちゃ、書類はモレだらけ。お釣りは間違えてばかり。電卓を用いても計算をミスする。

同期の中では一番年上だったので、「ほかの子たちはまだ仕方ないけれど、あなたはできるでしょ!?」と言われつつも、ダントツできない。

上下関係はたいへん厳しい職場だったのですが、空気の読めないわたしは、「先輩などへの気遣いのタイミング」「飲み会での気の利かなさ(お酌や注文取りなど)で、ずいぶん指導をいただきました。毎日吐きそうになり、気が遠くなりながら、結局一年で退職してしまいました。

実家は高齢の祖父母との同居だったため、いつまでも無職でいることは許されません。昔の考えを持つ祖父母は、いい大人が仕事もせずにいることを許すはずがありません。

そして何より、祖父母の実子である母が、わたしのことで責められてしまうからです

介護の資格を取るために、短期スクールへ通いはじめた

スクールではさまざまな介護の動作を学びましたが、わたしは先生の動作をまねることが、全くできなかったのです。

心配した先生が、個別に私を呼んで指導してくださるほどでした。

「目で見て、人の動作を理解する」ことが無理だと思ったわたしは、先生やモデルの人の動作をすべて「ノートにスケッチ」し、どうにか頭と体に叩き込みました。

わたしは、やっぱり何かがおかしい。そう思い詰めて、家族の目を盗んで病院やカウンセリングを調べ、とあるセンターで「アスペルガー症候群」との診断を受けました。

家族にばれたら、心配されて怒られるだけだとわかっていたので、すべてこっそり行いました。

「この子は好きに使って」

介護の資格は取ったものの、介護の仕事には進まず、小さな印刷工場へ就職しました。

わたしは入社してすぐに、「主任」としての仕事を任されることになりました。

社長は会議でわたしを指し、「この子は好きに使っていいから」と言いました。

受注されてくるたくさんの仕事を、みんなに振り分け、納品期日ごとに完成させ、梱包を終え、発送手続きをする。工業用ミシンを練習する。電話応対。

新人で、なおかつ「女子」なので、お茶出し、掃除、ごみ捨て、洗濯、灰皿洗い。セクハラは笑って受け流す。

以上の作業を、頭がおかしくなりそうな機械の音が響き、有機溶剤のニオイがプンプンする中で行いました。

自分なりの「マニュアル」をノートに作って勉強しましたが、こなすことができませんでした。

わたしたち新人が蒼い顔をして残業をする中で、社長と工場長は「じゃ、がんばってね~」と言いながらサッサと帰ってしまいます。

つきっきりで指導してくれた先輩からのしごきで、次第に体調が悪くなっていきました。「結婚以外の理由では辞めさせない」と社長に言われていましたが、歩くのも困難なほど体調が悪化し、無理やり退職させてもらいました。

その頃には、今の旦那となる人と付き合っていましたが、休日にデートをしても途中でグッタリ体の力が抜け、歩けなくなってしまうほどでした。

しかし、体調悪化で退職したところで、無職のまま家にいることが許されないのは変わりません。

さっそく就活をはじめ、いくつか仕事を転々としましたが、とうてい続けられませんでした。

そんなある日、彼氏にプロポーズをされました。

彼にはわたしが発達障害者だということを伝えていました。診断があってもなくても、わたしはわたしだ、ということも。

仕事は続かず、気も利かない。見た目も良くない。何より、ずっとずっと、みんなに嫌われ続けてきた。

わたしの一体何が良くて、結婚しようと思ったのか。今でもわかりません。

スモモ
スモモ
ごめんね。もう、働けないかもしれない。

 

旦那
旦那
いいよ。そのつもりだったから。

定型会社員と結婚、3児のママに

実家を離れたことと、仕事をやめたことで、体調は少しづつ回復していきましたが、頭がボーっとなるのは何年も治りませんでした。

「アスペルガー症候群(のちに、ADHDもあると言われる)」、つまり自分が発達障害者だとわかる前は、わたしは「自分が今まで何かを怠ってきたから、こんなふうなのだ」と思っていました。

何かとは、努力であったり、工夫であったり。あるいは、親に甘ったれてばかりで自分のことを自分でやらなかったのか。幼いころからもっと他人に興味をもって、人と関わることをすれば良かったのか。

今は、「自分一人の力ではどうにもならなかったんだ」と思っています。

その代わり、旦那に対する強い「うしろめたさ」というのを感じています。激務の中、ミスばかりで無神経なことを悪気なくやってしまうわたしを、介護しているような状態ですから。

スモモ
スモモ
悪気がないのって、やっかいだよね・・・

消えてしまいたい気持ちはずっとある。

旦那はキッチリとした性格のサラリーマン。会社でも「厳しい先輩」として通っています。その分、面倒見も非常にいい兄貴肌です。

わたしは就職していた頃のような緊張感で、今では旦那に「家事のやり方、片づけ方」「物の置き方、扱い方」などを細かく指摘されながら過ごしています。

緊張で、体が震えることもあります。

社会も、家族もイライラさせてばかり。家事も仕事も苦手。

どんなに気を付けても、気を付けても追いつかないし、かといって少しでも気を抜いたら、何もかも回らなくなる。

消えてしまいたいけど、それでは無責任だから、今できることを精一杯やるだけです。

子供への「遺伝」については、もちろん考えましたが、現時点で「発達障害は遺伝する」という説が確定しているわけではありませんし、そもそも遺伝のことを言い出したらキリがありません。

親戚中を見渡したら、1人か2人はいるでしょう?あやしい人が(笑)!!

子供は女の子と男の子、1人ずつほしいな、と思っていました。姉妹だと、自分と重ね合わせてしまい、辛くなってしまいそうだから。

結婚して8年が経ち、わたしは自分と同じ三姉妹のママになりました。三姉妹の生まれ月も、わたしたちとピッタリ一致しているのです。

長女のイチゴは、発達障害です。

長女同士ということもあり、自分と重ね合わせて、辛くなってしまうことばっかりです。

周囲に迷惑もかけつつ支えられ、娘たちはすくすく育ってくれています。

「ポンコツママ」だけど、ポンコツだからこそ、なにかできることがあるかもしれない。

そう思って、ブログを書いていこうと決心しています。

 

イチゴ
イチゴ
キャーッ♪

ニコ
ニコ
わんわん!

ミミコ
ミミコ
あーうー

発達障害=ポンコツではありません。

この記事で書いたできごとは、あくまで、わたし個人のエピソードです。発達障害の症状は、ひとりひとり異なっています。

まとめ

いつでもどこでも浮いていて、嫌われ者だった子供・少女・社会人時代を経て、3児のママになりました。

今はママ友も多いです。その方たちから嫌われているかどうか、わたしにはわかりません。

子供たち3人は、みんな元気に育っていてくれて、それぞれお友達もたくさんいます。

わたしは相変わらずミスが多く、1日1日をこなすので精一杯ですが、少なくとも「社会で働いていたころ」よりは、ずっと素晴らしい毎日です。

夜、子供たちが寝るとホッとし、「かわいい寝顔をありがとう」と思います。朝起きると、今日はみんなで何をしようかなあ、と思います。

わたしと、わたしたち家族を受け入れてくださっている皆様に感謝、感謝です。

いつか、わが家を支えてくださっている方々へ恩返しができたらいいなと思っています。

アスペママ・スモモ流子育てこんにちは!アスペママブロガーの、スモモ@aspe_sumomoです。 わたしは自分が「発達障害」であるとわかったうえで、子供をもうけ...